楽なのは悪という思想がある。
どうして英語の教科書に訳を載せないのか?
手間ひまかけて、苦労して、努力して訳すのが良い。という風潮だからだ。
どうして現代は面白い・楽が悪という風に見られるのだろうか。
楽なほうが人生楽しいし、一度しかない人生面白いほうがいいではないか。
なのに人のためになにかをするってのはよいことに見られ。
自分のための私利私欲は悪く見られる。
他人に何かをするのはデメリットだけあって自分にはなにも跳ね返ってこない。
ハイリスクノーリターンだ。
こんなことを推奨する社会はおかしい。
あくまでも主従の関係でいうならば従であるべきだ。
まず自分を主。他人を従。これ基本。
「無私」に疑問を呈する。という記事に興味深いことが書いてあった。
自分を投げ捨てて、他人のために尽くすのが美徳と捉える文化が日本にはあると述べている。
どうも人間は自分の本能と逆らうほうへ行きたがるらしい。
『1人はみんなのために。みんなは1人のために』
という有名な標語もそうだ。
結局はだれも自分のために努力していない。
「紺屋の白袴」を地で行く言葉だ。
楽なほうへ楽なほうへと走って行くのがエントロピー増大の法則だ。
100年前より、50年前のほうが生活が楽だ。
50年前より、10年前のほうが生活が楽だ。
10年前より、今のほうが生活が楽だ。
だんだん楽になるのが自然の摂理なのだ。
なのにさらに楽しようとするとお咎めがある。
下りのエスカレーターに乗っていて、さらに自分の足で下ろうとしたら怒られるようなもんだ。
結局は楽になるんだからいいじゃないか。
面白いのは悪という思想もある。
掃除を遊びながらやったら怒られる。というのもそうだ。
結局は結果が同じなのだから途中経過でなにをしても良かろう。
日本人の国会議員が会議で全然笑いをとらない。
これも面白いものは悪という思想だろう。
どうして公の場で笑いが取れないんだ?
「面白い・楽・笑い」を軽視ししすぎている。
アメリカの議員はジョークを交えながら話す。
日本人はクールビズというのを環境省が推奨している。
夏のノーネクタイ・ノー上着ファッションがいいといっているのだ。
ここでも「面白いものは悪」という概念がある。
なぜ、そこまでしてスーツを着る?
普通のラフな格好をすればいい。
Tシャツを着ればいい。
むしろ事務に至ってはパジャマで仕事をすればいい。
「いや、スーツぐらいは着とかないと……」
って、どうしてそこまでスーツにこだわる?
やっぱりスーツを着て真面目さをアピールしたほうが好印象だという風潮があるからだ。
暑ければ脱げば良い。
寒ければ着ればいい。
それくらいの常識が守れんでどうする。
自分の欲望の反対方向に走っていこうとするな。
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テーマ:高校生日記 - ジャンル:日記
- 2005/11/21(月) 22:24:59|
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